崩れないはずだった兄たち|Super Juniorを襲ったスキャンダルと“沈黙の10年”

SMの看板グループに何が起きたのか

2005年、13人という異例の大所帯でデビューしたSuper Junior(スジュ)
「バラエティ・俳優・MC・モデル・DJ」…K-POPに“多角的活動”を定着させた先駆者だった。
だがその裏には、相次ぐ不祥事・事故・脱退・不仲説という現実があった──。

✦ 編集者のコメント
私にとってスジュは、“兄貴分”のような存在でした。でも気づいたら、ひとり、またひとりと姿を消していた。
「あれ?13人じゃなかったっけ」──その違和感が、やがて確信へと変わるんです。


① 韓国芸能史に残る大事故──2007年ヒチョル交通事故

最も衝撃的だったのは、2007年のヒチョルの交通事故
ライブ終わりに帰宅途中、車が大破し、右足大腿骨が折れる重傷。プレートを何度も入れ替える大手術が行われ、長期間ステージから遠ざかることに。

ヒチョルはのちにバラエティでこう語っている。
「もうダンスは無理。あの時点で“アイドル”は終わったと思った」
彼の不在は、グループの動線やコンセプトにも影響を与えることになる。


② “中国脱退ドミノ”──ハンギョン、そしてヘンリーと周觅(チョウミ)

2009年、唯一の中国人メンバー・ハンギョンがSMを提訴し脱退。
理由は「専属契約の過酷さ」と「差別的待遇」。
中国の大手メディアが報じる大事件となり、K-POPにおける外国人メンバー制度の見直しにもつながった。

その後、ユニットSuper Junior-Mに加わったヘンリーとチョウミも徐々に活動縮小。
「中国系メンバーは結局、全員フェードアウトした」と語るファンも多い。


③ “ソンミン炎上”とファンダム崩壊

2014年、ソンミンが交際・結婚を発表
当時、兵役直前のタイミングで、ファンへの報告も一部のみという“対応の悪さ”が致命傷に。
結果、韓国ファンによる“脱退要求”運動が過熱。
除隊後の活動も縮小し、2024年現在も「復帰は困難」と見られている。

✦ 編集者のコメント
ソンミンは悪くない。だけど“タイミングと態度”でファンダムを敵に回した。
K-POPの厳しさを、あれほど象徴的に表した事件はないと思います。


④ “兄弟ゲンカ”と“沈黙の脱退”

キボムは明言せずに活動を離れ、カンインは暴行・飲酒運転などの騒動でグループを去った。
「正式な脱退発表なし」のまま静かに消えていくメンバーも多く、ファンの間では「実際の人数がわからない」と嘆かれていた時期も。

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🖋まとめ|「兄たちは、なぜ崩れていったのか」

Super Juniorは、K-POPを“多様化”させた存在だった。
でも、多角化すればするほど、バラバラになる危うさも抱えていた
脱退、事故、炎上、すれ違い…。
気づけば“完全体”の彼らを見ることはなくなっていた。

それでも、彼らが築いた道が今もK-POPを支えていることは、間違いない。

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